霊明神社南墓地

 文化6年に創建した霊明神社の奥都城は、もともと霊山墓地として神社の北側にありましたが、明治10(1877)年10月の上知令で奥都城一帯が国有地とされ、幕末維新の志士の墓は国家(朝廷)が祭祀・管理することになり、霊明神社として新規の奥都城を立てることができなくなりました。

 

 そこで、明治17年頃、4世・歳太郞は、幕末に廃寺となった方廣寺(正法寺の山内)を所有する清閑寺霊山町の住人、橋本久右衛門氏に交渉して新規の神道墓地として開拓する交渉を始め、明治20年に5世・市次郎が正式に登記を行いできたのが、この南墓地です。

 

 

 幕末・維新に活躍して、霊明神社と長い厚誼をもった吉田玄蕃、森寛斎などの奥都城もこの南墓地にございます。

 

 墓地の擁壁には、赤レンガが施されている箇所があり、当時、西洋の技術も積極的に取り入れたことがわかります。

 

 この奥都城の眺望は淀方面から西山、桂方面が見渡せ、京都市街も眼下に見通せて、霊山の神気漲る聖域であります。

 

※南墓地への参道は霊明神社の私道です


 南墓地では、新しく家墓(〇〇家之墓など)や個人墓をおつくりすることができます。詳しくは「お墓をお求めのみなさまへ」をご覧ください。