御祭神

天御中主尊

 造化の御神

 

菊理媛尊 速玉男命 事解男命

 熊野三柱大神 死後の世界、魂の行き先を護り下さる尊い御神

 

*相殿

天照皇大神 猿田彦大神 天鈿女命 武甕槌命 経津主命



末社 猿田彦明神御神石

 文化4(1807)年、創建前の霊明舎に御遷座奉送された御神石を末社 猿田彦神社としてお祀りしました。

 その経緯について、所蔵の「神石奉送一札」(文化4(1807)年丁卯五月)と、「猿田彦命神石略傳」より紹介いたします。略傳は、初世・村上都愷が文化8(1811)年に著述発行した絵入り木版刷の略伝で、三世・村上都平が嘉永6(1853)年に再版しています。

 

 この御神石は、平安時代の嵯峨天皇の皇子の左大臣・源融(みなもとのとおる)公の邸宅・六条河原院ゆかりの「道祖神 猿田彦明神御神石」と伝わります。源融公は『源氏物語』の光源氏のモデルとされています

 

 四方四町の広大な敷地の六条河原院造営の時から斎き奉られていた御神石は、江戸時代には六条河原跡地の塩竈町の生薬屋権兵衛の持ち家裏に埋まっておられました。傍らに住まいする人の大怪我など、祟りを蒙ることが絶えず続くので、権兵衛はお祓いを執り行いお詫びしました

 

 その日の夜、権兵衛の夢の中で「我は猿田彦大神なり 数百年此の地に神徳隠れる 悪水の流れの不浄に堪えかねる 早く遷座を」と告げられたといいます

 

 聖地霊山に送られることになったのは、そのお祓いを霊明神社初世神主・村上都愷が請け負ったためといわれており、神道葬祭場・霊明神社創設のために、まず土祖神として猿田彦明神御神石をこの地に祀ることを考えたと思われます

 

 猿田彦明神のご神徳は旅立ち 交通安全の祈願 方災解除 厄祓 延命長寿 縁結び 安産等であり ご神徳あらたかなる守り神として篤き崇敬を受けています