霊明神社に関することが新聞・テレビなどで紹介されています。また、神主が寄稿させていただいたものやインタビュー記事などがございます。
(村上繁樹編著、ミネルヴァ書房、2022年10月)
霊明神社の歴史から幕末の勤王の志士の神葬について明らかにしました。靖國神社・護国神社といった招魂社の源流となった霊明神社やその神道葬祭の画期が良くわかる書籍となっています
■『坂本龍馬などの志士はなぜ霊山に祀られているのか』(高野澄)
(幕末京都、学研プラス、1995年1月)
高野澄先生が令和5年4月20日に死去されました。みたまの安らかなることを心よりお祈り申し上げます
■巻頭インタビュー「明日の京都を考える」霊明神社7代神主 村上壽延
(月刊だんろん京都 平成15年2月号、情報通信社)
多くを語らなかった七世・壽延。唯一といってもいいかもしれない、貴重なインタビュー記事です
■『宗教者からのメッセージ5~すべてのいのちの平安を願う~』
(浄土真宗本願寺派総合研究所、2020年3月発行)
自死・自殺の苦悩を抱える方へのメッセージとして受けたインタビューを
記事にしていただいています(p24 -28)
神葬祭を行う神社の神主として、一人の人間としての考えや想いを、
経験に基づいてお話させていただきました
「りょうまぜよ!」キャラ新たに
霊明神社の坂本龍馬のキャラクター「りょうまぜよ!」が誕生いたしました
キャラクター制作は「ひこにゃん」や「たわわちゃん」などの生みの親もへろん氏によるもの
「りょうまぜよ!」を配した、心願成就の御守を授与しております(初穂料800円)
坂本龍馬をはじめ霊明神社で祀られた志士の志(こころざし)にあやかっていただければ幸いです
次代を担う 座敷を開放し茶話会催す
中外日報さまに神主を紹介する記事をご掲載いただきました
東日本大震災追悼慰霊祭(11年祭)
主催:京都岩手県人会
読売新聞社さま、岩手日報社さまにご取材いただきました。後日、中外日報さまにも記事を掲載いただきました
東日本大震災追悼慰霊祭(10年祭)
主催:京都岩手県人会
3月11日当日は、NHK京都放送局さま、京都新聞社さま、読売新聞社さま、岩手日報社さまにご取材いただきました
東日本大震災10年 中学生アート 釜石身近に
(2021年3月9日 京都新聞朝刊)
霊明神社の神職による働きかけで、釜石の市民団体ゼロスポットさまより、防潮堤に飾られたアート作品をお借りし、神社の壁面に飾らせていただくことができました
この作品は中学生らが下絵を考え、子どもたちをはじめ釜石のみなさんが参加して色を塗り完成させました
ぜひ京都の多くの方に観ていただければ幸いです
※同様の取材を受け、朝日新聞さまにも記事を掲載いただいております
まちを見つめて 東日本大震災10年
③現地復興 支援よりつながり続け
(2021年3月4日 京都新聞朝刊)
京都で被災地の今を発信し続けている人として、当社の神職をご紹介いただきました。至らない点も多いですが、さまざまな勉強をさせていただいております。釜石での経験が神職として生かされることを神社としても期待しています
さて、オフィシャルとして一点訂正させていただきたく存じます
紹介されている神主は、跡は継いではおりません
8世神主・村上繁樹が現在も変わらず代表でございます
記事をご覧になられた方は世代交代したかと思われたかもしれませんが、記事が間違いでございますので、誤解ありませんように
維新の記憶-1869年東京招魂社の創建
(2018年2月20日 読売新聞夕刊)
記事の右下「背景」に霊明神社のことが触れられています。本文中には「長州で幕末、仏式ではなく神道式の招魂祭を催し、死んだ尊王攘夷の志士の霊を弔ったのだった。このやり方を薩長の新政府も踏襲した」とあります。東京招魂社(靖国神社)の創建にあたって、その始まりが、霊明神社にあったことがわかる記事になっています。
志士・伊藤博文の依頼書
(2011年12月26日 京都新聞夕刊)
伊藤俊輔(博文)が長州・毛利家を代表して藩士の祭祀(神葬)を霊明神社に依頼しています。
切腹する4人の藩士の祭祀を依頼する内容で、同日には因州鳥取藩の祭祀も予定されており、その時間調整を頼んでいます。
署名の「俊輔」は、英国に密航する直前の1863年3月から1864年8月まで限定的に使用していた名前で、志士として活動していた際に残した手紙としては大変珍しい。
土佐藩の仲間埋葬頼む手紙
(2010年8月25日 京都新聞夕刊)
天誅組(天忠組)総裁・吉村寅太郎が病死した志士・宮地宜蔵の埋葬を霊明神社に依頼した手紙です。
この埋葬については『維新土佐勤王史』にも記述があり、それを裏付ける史料となりました。後に坂本龍馬・中岡慎太郎の神葬も霊明神社で行われますが、この頃から土佐藩と霊明神社につながりがあったことがわかります。
創建200年の社殿再建
(2009年7月18日 中外日報)
昭和8年に社殿が再建されましたが、翌年の室戸台風により倒壊。それからは、家屋内の本殿にて御霊屋と共に、ご祭神を斎き奉ってきましたが、霊明神社創祀200年を機に、境内の本殿を再建いたしました。
この再建により、一般の方も境内でお参りができるようになり、現在に至ります。
建築様式は、一間社流れ造り。用材はすべてヒノキ。屋根は銅板一文字葺き。奥谷組による設計施行です。
東山区④ 遺体運ばれた霊明社
-龍馬の出会いと葬送の地-
(2009年5月22日 京都新聞朝刊)
歴史地理学者・中村武生氏が京都新聞で連載していた「中村武生さんとあるく洛中洛外」のコーナー。
正法寺・霊明神社への参道が紹介されています。坂本龍馬はじめ志士たちの亡骸もこの参道を通って、霊明神社に運ばれました。このことから、幕末志士葬送の道、通称「龍馬坂」とこの参道が呼ばれるようになりました。
幕末殉難志士を慰霊-野村萩市長も参列-
(2008年7月22日 山口新聞)
京都山口県人会の有志が発起人となり、幕末殉難志士の慰霊祭を初めて斎行しました。慰霊祭には、当時の野村萩市長も参列されました。
現在、この幕末殉難志士の慰霊祭は、霊明神社崇敬奉賛会に引き継がれており、毎年7月19日には秋湖祭(久坂玄瑞命日祭)、9月上旬には幕末維新殉難志士みたま祭を斎行しています。
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お寺・神社・日本文化のことを知ってもらうために、さまざまな企画を展開され、積極的に情報発信されています。霊明神社のこともご紹介いただきました